めすねずみに共感 「ねずみ女房」ルーマー・ゴッテン著

ねずみ女房文学
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ルーマー・ゴッテン「ねずみ女房」をご紹介します。
以下、あらすじと感想を記します。

 

ねずみ女房

 

舞台はイギリスの自然豊かな地方。
ある独身のご婦人の家に住みついている、めすねずみが主人公です。

 

ねずみ夫婦は、この家を全世界だと思っていました。家のまわりの庭や森は、ねずみたちには、わたしたちにとっての星のように、遠いものでした。でも、めずねずみは、ときどき、窓じきいの上にそっとのぼっていって、ガラスにひげをおしつけて、外を見ました。

 

こういう表現を前にすると、人間である自分は感じ入ってしまう。

ヒトである我々だって、生まれる前には母親の胎内だけが全世界。
生まれたあとはベビーベッドの中だけが世界だ。
外に何があるのか、なんて考えなかったと思う。いや、考えてたのかな?笑

まあぜいぜい母親の姿を目で追う、とか、ときおりちょっかいを出してくる上のきょうだいを気にする程度で、この住居の外はどうなっているか?なんてことに意識は及ばないと思う。

もう少し成長して言葉が出るようになると、全世界は家やその周りの地域にまで広がる。
そうして段階的に外に目を開きながら、ヒトはしだいに認識する世界を広げていく。

 

種としてのヒトは、今や宇宙のはてにまでも意識を及ばせることができる。
100年前にはもっとおぼろげだった宇宙のイメージも、日進月歩で解像度を上げてきた。

一方、種としてのねずみ世界は100年前と比べて広がったのかな?…。

 

このねずみは、ほかのめすねずみのすることを、みな、しました。やがて産みたいと思っている赤んぼうたちのための巣もつくりました。だんなさんや自分のたべる、たべもののかけらも集めました。
「これいじょう、何がほしいというんだな?」と、おすねずみは聞きました。
めずねずみには、何がほしいのかわかりませんでした。でも、まだ、いまもっていない、何かが、ほしかったのです。

 

いまの境遇に不満があるわけではないけれど、ひょっとしてほかの人生もあり得たのではないか?
今風の言い方をすれば、別の世界線に思いを馳せること。
わたし達は、こういうことをするのはヒトだけだと思っている。
だが、このめすねずみは「今持ってない、何かがほしかった」

 

自分は、このめすねずみを愛おしく感じました。

 

ねずみ女房

 

 

一方のおすねずみは
「おれはチーズのことを考える」
と言う。
そして、どうしておまえはチーズのことを考えていられないのか?と聞く、というのだ。

 

 

ねずみ女房

 

 

かくして、めすねずみの前にキジバトが現れた。
お屋敷のご婦人が鳥カゴに入れて居間の棚の上で飼い始めたのだ。

はとは、自分がいた外の世界を恋しく思い、空を飛ぶことや夜の森について、めずねずみに毎日のように話して聞かせる。

 

はとは、風が麦の上に波をえがきながら吹いていくようすや、木の種類によって、ちがう音をたてることや、雲を吹きとばして、空の遠くへ追いはらってしまうことなどを話しました。
はとは、こういうことを、自分が空を飛んでいたとき見たように、話して聞かせました。

 

小さなカゴに閉じ込められ、もといた世界を思うはと。
元気をなくし、婦人から与えられる豆を食べる気力もなかった。
めすねずみは彼を励まし、パンくずなどを運んでやる。

居間に足繁く通うめすねずみに疑念をもつ、おすねずみの姿も描かれる 笑

 

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やがてめすねずみは巣にいっぱいになるほどたくさんの子どもを産み、その世話で忙しくなる。
彼女は赤ん坊をとても可愛がり、ほかのことなど考えられなくなり、はとのところにも行かなくなってしまった。

 

その間、ほとんど何も食べていなかったはとは、ぐったりして力もつきはてたようになっていた。

めすねずみがひさしぶりに行くと、はとはつばさを広げてめすねずみを抱くようにして、くちばしでキスをする。

 

ねずみ女房

 

 

めすねずみはカゴのなかで元気を失ったハトを見て、
「このひとはここにいるべきでない、あの木々や、庭や、森のなかにいなければならない」と思う。

そして、カゴの戸口の金具に歯でぶら下がり戸を開けて、はとを逃すのだ。

 

はとが飛び立つ姿を見て、めすねずみは思う。
「ああ、あれが飛ぶということなんだわ」

 

 

ねずみ女房

 

 

それから、はとの飛び立った後の窓辺で、めすねずみは初めて夜空に光る星を見る

そしてそれが、庭や森よりも遠い、その向こうの、一番遠い木よりも遠くにあるものだと言うことに、気がつく。

 

 

ねずみ女房

 

そのめすねずみの姿に、自分はじんとした。
ちいさなからだの彼女が、はとに教えてもらった森よりもずっと遠くにある、漆黒の宇宙に輝く星に見て、それに思いを馳せている。

そうしてめすねずみは星のことを、「でも、わたしに見えないほど遠くはない」と思う。

 

「(略)だって、わたし、見たんだもの。はとに話してもらわなくても、わたし、自分で見たんだもの。わたし、自分の力で見ることができるんだわ」
めすねずみは、そういって、ゆっくり、誇らしい気持ちで寝床にもどりました。

 

めすねずみの好奇心と知恵によって、彼女の「全世界」は広がった。
これはある意味、進化とも言えること。種ではなく、めすねずみ個体のね。

 

石井桃子の訳がとてもよい。
「くまのプーさん」「ピーターラビットの絵本」などを翻訳した人。
「ノンちゃん雲に乗る」の作者でもある。

 

「ねずみ女房」。
物語としての起承転結がすっきりとして美しく、かつ、自分たち人間と重ね合わせるとさまざまな意味を持つ場面があり、大好きな一冊です。

 

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