時空を超えた最上級の愛情表現『シズコさん』佐野洋子著

文学
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『シズコさん』佐野洋子著を読みました。

 


『シズコさん』 佐野洋子著

 

『100万回生きたねこ』の作者による私小説のようなもの。

 

壮絶であった。

まっ裸になりすべてさらけ出して、自分と母親、そして家族のことを描き出している。
全編にわたって、死ぬ前に何が何でも描いておかなくては、というような気迫にあふれている。

現実を生きることに長けてはいるが、情には欠けていた母・シズコさん。
ある時代を生きた、女性であり妻であり母であったシズコさんという人間の一生を、著者は冷静に客観的に見つめる。

とくにシズコさんが呆けてからの最終章は凄まじかった。
著者が、母とともに生と死の境を行きつ戻りつしているような不思議な表現が多く、しかも著者が現実に感じたことを文学的に飾ったりなどせず直球の表現で書いているのがわかるから、よけいに戦慄してしまう。母も自分も生きていることも死にゆくことも全部一緒くたになっている。
生きていくことの厳しさを感じた。

途中繰り返して語られる内容があり、重複しすぎている表現が多くて、読んでいる自分のあたまも呆けてしまったのかと思い、ページを戻すことが何度もあった。
けれどもそれらは確かにすでに語られているのだった。
それさっきも聞いたよ、という事柄が何度でも出てくるのだ。
自分に言い聞かせるような調子なのである。
老いゆく著者の心のありようをそのまま書いたのかな、とも思った。編集者が気がつかないはずはない。意図されたものなのだろうか。わからない。

幼くして死んだ弟タダシの話も、何度も出てくる。
タダシのことを覚えているのは今やこの世でもう自分だけだと。
ぜったい死ぬまで覚えているからね。そう何度も言うのだ。

 

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著者はシズコさんという人間のことをくっきりと残そうと思ってこの話を書いたのだと思う。
読み終わって、シズコさんは本当に幸せな人だ、と思った。
母親とか妻とか男とか女とか、そういうこの世での関係性を超えた最上級の愛情表現を、娘である著者から受けたのだから。
人と人である間は、とくに肉親同士であるうちは、色々なことがねじまがって見えなくなったり、受け取れるものも受け取れなくなったりするのだ。しかし、片方があちら側に行ってしまうことにより、いきなり回路は開くのだった。
それで、洋子さんは書いた。
これは、一人の人間によって書かれた一つの人生への愛の表現だ。
根本的に『100万回生きたねこ』と同じことが表現されているのだと思う。

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