日々の残像を、ゆるゆるメモします。
むかしむかし。
結婚する時に勤め先の上司からお祝いにといただいた柱時計。
少しアンティークなデザインで、まあるいフレームの部分が可愛くてお気に入りだった。
ところがあるとき彼がぱたりと針を止め、動かなくなった。
リビングの壁でコチコチと音を立てながら、何十年も我が家を見守ってくれていたのに。
電池を換えても動かない。
中を開けて見たけれど、今までと変わったところもなかった。
布に包んで抱え、時計屋さんに持って行った。
老店主が言うには、故障しているが古いタイプなので部品がなくて修理できないとのこと。
リビング壁の定位置にいるはずの彼が、いない。
何だか落ち着かない気がした。
時間を確認しようと、家族みんなが日に何度も何もない壁を見た。
もう何十年も、無意識にそうしてきたから。
贈り主の上司の訃報を聞いたのは、その数ヶ月後のことだった。
映画とクラシック音楽の好きなひとで、一度新入社員の仲間とともに新宿の映画館に連れて行ってもらったことがある。
観覧後の喫茶店で、その映画に関する彼の解釈を伺った。
大ヒット映画だったが、その独自の感性による捉え方にびっくりした記憶がある。
若かった自分は、大人になるとそういう風に作品を見ることができるのか、と感心した。
結婚すると同時に自分は退社して、それから一度も彼とは会わないままだった。
柱時計はいま、我が家のクローゼットの棚に横たわっている。
現役で動いてくれていた時には何とも思わなかったのに、今はそれを見ると当時の上司のことを思い出す。
どうか安らかにお眠りください。
すべては通り過ぎてゆく。
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