「フリッカー・ナイト」

アート
スポンサーリンク

 
 
現在、東京都写真美術館では、「映像をめぐる7夜」と題するライブ・イベントを開催している。
その第4夜「フリッカー・ナイト」を観覧した。
大きなスクリーンの前の真ん中辺りに席を取る。
観客は全部で300人ほどいただろうか。
 
 
その内容は、こういったもの。
(以下、写美のサイトより転載)
 
 

「フリッカー・ナイト」(上映+トーク)
ゲスト:西村智弘
明滅する光と闇、そしてその彼方にのみ生まれ出る像。「フリッカー」とは、光や像の明滅によって生み出される視覚効果のこと。知覚への直接的な刺激を与える手段としても多用されたが、1997年のいわゆるポケモン事件以来タブー視されてもいる。今回は、フリッカーの代名詞的な作品から、隠れたフリッカー作品までを特集上映。1960年代の実験映画からその表現の歴史と背景をたどります。挑戦的で希少な機会、貴方はどこまで見つめ続けることができるか?
 
 
【上映作品】  作家名、タイトル(制作年、時間、上映媒体)、所属・配給等
 
 
■西村智弘 NISHIMURA Tomohiro
・フリッカー・パニック Flicker Panic(2000/13分/video) 作家蔵
■ペーター・クーベルカ Pater KUBELKA
・コウノトリ Adebar (1957/1分30秒/16mm)
・シュヴェカター Schwechater (1958/1分/16mm)
・アルヌルフ・ライナー Arnulf Rainer (1960/6分30秒/16mm)
所蔵:シックスパック・フィルム、ウィーン
■末岡一郎 SUEOKA Ichiro
・ペーター・クーベルカの「アルヌルフ・ライナー」のスコアによるリズとフランキーが登場するNTSCの明滅映画
A frick film in which there appear Liz and Franky in composed under the score of ARNULF RAINER by Peter Kubelka on NTSC(2000/6分30秒/video) 作家蔵
■ポール・シャリッツ Paul SHARITS
・ピース・マンダラ Peace Mandala (1967/5分/16mm)
所蔵:飯村隆彦映像研究所、東京
■松本俊夫 MATSUMOTO Toshio
・色即是空 Everyhing Visible is Empty (1975/8分/16mm) 
所蔵:イメージフォーラム、東京
■牧野貴 MAKINO Takashi
・EVE(2002/3分/16mm) 作家蔵
■宇川直宏 UKAWA Naohiro
・SCANNING OF MODULATIONS condition #1 (1998・2001/5分30秒/dvd) 協力:有限会社アップリンク
・VISION△CREATION△NEWSUN (1999・2007/6分30秒/dvd) c WARNER MUSIC JAPAN INC.
■トニー・コンラッド Tony CONRAD
・フリッカー The Flicker  (1965/30分/16mm)
所蔵:東京アメリカン・センター

 
 
フリッカー(明滅)にポイントを絞って催されたイベントは
これまでに例を見ないということだった。
以下覚え書き。
 
 
ペーター・クーベルカの『コウノトリ』は、短いが強烈な印象を放つ作品。
白と黒しかない映像。踊る男女?のシルエットのカットがめまぐるしく切り替わり、そのネガとポジが(白と黒が)頻繁に入れ替わる。
つまり、白を背景にした黒のシルエットのカットと、黒を背景にした白のシルエットのカットが、ランダムにあらわれるのだ。
見ている者の脳は、きっとそのたびに視覚野の微調整を行わなければならず、その作業がくらくらとした感覚を引き起こし、酩酊感を誘うのだと思う。
 
 
末岡一郎の『ペーター・クーベルカの・・・明滅映画』も面白い試みだと思った。こんなことした人、他にいるのかな。
編集に大変な時間がかかっただろうが、いたってストレートな手法により、あのシュールな時空間は形作られたのだ。感動。
 
 
ポール・シャリッツの『ピース・マンダラ』は、タイトルからして一番期待していただけに少しがっかり。曼荼羅が出てこない!
ピースになれるマンダラ、とっても欲しかったさ。
男女の営み(エロス)+死のイメージ(タナトス)だけでは、21世紀のピースは見つからない。 
 
 
松本俊夫の『色即是空』は土臭さと緻密さとが同居したような世界。
般若心経の文字で構成されていると紹介されたので、文字だけで精神的高揚をもたらすことなど可能なのかな、と思っていけれど、始まったらあっという間に引き込まれた。ものすごいグルーブ感。
特に、空(悟り)に至るまでの魔境の表現のタイミングが絶妙。
 
 
宇川直宏の『Vision Creation Newsun』 はBoredomsのPVだ。
これがもう、大変に素晴らしかった。
これぞ「洗練」のその先にある現代の曼荼羅。
詳しくないけど、VJが使うような機材とソフトで作ったのかな。
大きなスクリーンに映し出されていたからこそ、この良質な映像をからだとこころでまるごと受けとめることができた。
DVDも出ているらしいが、家庭用テレビで視たって、この高揚感はおそらく得られないのだろう。
しかしその一方で、過剰ともいえる膨大な情報量を容赦なく身に浴びる快感は、「もうどうにでもして」という感覚につながる瞬間もあり、映像というものの影響力について考えざるを得なかった。
 
 
そして最後にいよいよ、トニー・コンラッドの問題作『フリッカー』。
30分間、ただひたすらに明滅しているだけの映画。
音は基本的にいわゆるノイズのような感じ。
はじめの3分ほどは、何だかおかしくてたまらなかった。
こんな狭い会場でこんなに多くの人間が揃いも揃って、ただパカパカ光を放っているだけのスクリーンをじっと見ているんだもの。
一番前に陣取っている自分はとりわけマヌケっぽくもあり。
 
 
けれども、さらに数分経ったら、そんなことは感じなくなった。
映像を見ているうちに自分が目を開けているのか開けていないのかよく分からなくなってきた。勿論開けているのだけど、開けていてもものがよく見えていないから。しばらくすると、自分が見ているものが自分の意識の内側であるように思えてきた。
目に映っているのが、普通に目を開けていて見える世界ではないからだと思う。だから、その瞬間がこの世とかこの次元でないように思えるときもあった。
はっきりとは分からないが、明滅の頻度によってそのリズムが自分の生体内の何かと同期をとっているようで、気持ち良く感じる瞬間があった。
また、不安定な気持ちになるリズムもあった。
 
 
あるはずのないものが見えたのはほんの1、2分。
ちょうどLEDのブルーのような小さな電気が直径50センチくらいのリングをつくるようにぐるりと並んでいるのが
スクリーン上に見えた。
あれは、実際には、ない、ですよね?
ではなぜ自分の目に写ったのか。
視神経が何かの信号でも拾ったのか、それとも脳内の化学物質が発光でもしたものか。確かめようがないです。
他に見ていた人たちにとっては、どのような体験だったのだろう。
ここに見ている方がもしいらしたら、教えてください。
 
 
松本俊夫・宇川直宏・牧野貴・末岡一郎の作家四氏が会場に来てコメントをくれたことからも、このイベントが
いかに特異なものであったかが分かる。
 
 
写美よ充実した夜をありがとう!
これからも期待しています。
 

スポンサードリンク:


読んでくださってありがとうございます!
ポチッとしてね。


アートランキング

  
  

コメント