ヨルシカ「花に亡霊」や Eve「いのちの食べ方」を見ながら創作について考えた

ヨルシカ音楽
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マンダラデザインアートブログのsachiです。

今日は表現について、思うままに書こうと思います。

中にいると当たり前で見えないことが、外から見るとよくわかるということがあるけれど…
今の若い世代よ
あなた方が当たり前のようにしていることが、上の世代の自分にはとても眩しい!

 

Eveの「いのちの食べ方」を見ながら、つらつらと考えてしまいました。

 

Eveの「いのちの食べ方」。めくるめく疾走感!

 

なんというか、饒舌なんだ。過剰なほどに。
目が離せない感じの疾走感。イメージの洪水圧倒されてしまう。
ビジュアルから受ける粗削りな印象は表現として未成熟なところもあったりするかもしれないけれど、それが魅力とも言える。

 

 

「お気に召すまま」
この曲聴いてると気分がしだいにアガる。
時間とエネルギーが無限にあるように感じられた、若い頃を思い出す。
自分の中のネガティブな部分にスポットを当て発酵させ、膨らませていく快感
ボカロ出身のアーティストを中心に巡回していると特にそういったものを思い起こす。

 

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ヨルシカ「盗作」
ヨルシカは別格だ。こちらはもう文学の世界。n-buna氏の世界観を垣間見ることのできる名曲。

 

そして、つぶやけばそれが即、巷にリリースされる時代。

今の若い人達には考えられないかもしれないけど、自分達が若い頃には音楽を聴こう、楽しもうと思ったらある程度のお金が必要だった。お小遣いを何ヶ月かためて好きなバンドのアルバム(自分の時はレコードだ)をお店に買いに行かないと繰り返し聴くことはできない。
音楽をやるとなったら尚更だ。高い楽器を購入しないと。金がものをいう。若いから当然金なんかない。

それが今はお店に買いに行かなくても、誰もがその場で聴きたい曲を聴けてしまう。しかも繰り返し。好きな音楽を浴びるように聴ける。
その音楽達にインスパイアされた彼らがまた新しい音楽を作る。パソコン一台で、おうちで作る。好きなときにリリースする。
なんて良い時代なんだ!

 

ヨルシカの「風を食む」。suisのボーカルは透明感マックスで、心にしみる。ニュース23のエンディング曲になっている。

 

 

別の視点から見ると、こうも思った。

我々の世代は謙譲という「言い訳」のもとに、世に向かって表現することをセーブしすぎていたのではないか。
この程度の作品が世に受け入れられるとは思えない、世の中に出すには充分とは言えない、等々。若い頃小説を書いていた自分は少なくともそうだった。

当時はそういったものを形にして「世に出す」には厳しいプロセスが必要だったが、この年になった今、世の中がいったいどれほどのもんじゃ!とも思うのだった。
大体、世の中って何なんだ。俺こそが世の中でええじゃないか!
ネットは作品を世に出すハードルを劇的に下げた。

 

 

ヨルシカ「花に亡霊」。歌詩が本当に良い。現代詩の世界。手触りはさらりとしているけどその向こうに濃厚な世界が広がっているのが見えるんだ。

 

今、このリアルな世界の展望には夢も希望もないように思える。
でも一方で、気づけばこんなにも豊かな世界がボーダレスに広がり続けている。
そう、のぞめば誰でも手の届く場所に。
そのフィールドでは国境も人種も能力も関係なく望めば誰もがダンスできる
闇を照らしながら、彼らはそこでのびのびと踊り続ける。
上の世代にいる自分はそこに希望を感じるし、勇気づけられる。
若いひと達には辛い時代だけれども、未来は明るい、と思う。

 


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