NOSTALGIE

残像日録

【残像日録】たとえ明日世界が終わろうとも

たとえば、朝一番で自分がすでに持っているものにフォーカスを合わせると気持ちが満たされることがわかった。雨をしのげる家。ゆっくりと眠れる寝床。色々気になることはあっても、うごく身体。愛すべき家族。今日も何とか食べていけること。そして今では美しい秋空と気持ちの良い陽気!
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【残像日録】夜のムーランルージュにて

あれはクリスマスも近いパリの夜。街には色とりどりの電飾が施され、店の看板も華やかで可愛らしく、どこもかしこも目移りしてしまうほど魅力的だった。モンマルトルのクリシー通りに面した「ムーランルージュ」。赤い風車が目印のその建物の前に自分はひとりで立ち、カメラを手に美しい街並みを撮りまくっていた。
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【残像日録】草むしりビギナー

シイやケヤキなどの根元には色々な種類の草が生え、小さな花も咲いており、どれを抜きどれを残すべきなのか、検討がつかなかった。「雑草」とは、どこまでをそう言うのか。。あちこちにからまっているアイビーの蔦が事態をさらに複雑に見せており、自分はのっけから途方にくれた。その戸惑いを庭管理者氏にそのままぶつけると、「意味わかんないんだけど。全部抜いていいよ」 というお答え。え。全部って...お花とか咲いてるのに抜いちゃっていいの...?
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【残像日録】八ヶ岳のふもとにて

小渕沢に着くと、小海線に乗り換えた。列車とシカの衝突により運行を見合わせていたが、ただ今運転再開しました、とのアナウンスを耳にしながら、「いいねえ、いかにも旅先な雰囲気」などと思う。
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【残像日録】「みずのいろ」という優美なお菓子

すこし前にインスタグラムにあげた投稿。 大垣に本店を置く、「お菓子つちや」さんの「みずのいろ」というお菓子。 こちらをいただいた時、はかなくきれいな見た目に感涙したものでした ^^* もちろんお味の方もとてもよかった。
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【残像日録】富士とスカイツリーとそれを撮るひとびと

自分が行ったこの日は、5-6人の男性と女性(自分を含む)がふたりで、みな単独で来ている様子だった。ちょうどベストなポジション(みな大体同じw)を見定めて、夕陽に映える光景やスカイツリーにあかりが灯る時を立ったまま何時間も待つ。こういう時、女性だと見知らぬ同士でもなんとなーく会話をしてしまったりするのだけど、男性同士にはほとんどそれがない。自分の隣に人なんてまるでいないかのように、みなさんただまっすぐに前を向いて突っ立っている。カメラを始めてからその傾向に気がついた。シャイなのかな?
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【残像日録】喜怒哀楽のインデックス

とにかく、いまの自分を心地よくするようなインデックスを日頃からストックしておきたいな、なんて思う。せっかく生きているんだから。 死が少しだけ身近に思える、こんな時世だからなおさらのこと。
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【残像日録】コロナ時代の子ども達 〜シガー・ロスのMVを再び見た

シガー・ロス(Sigur Ros)の「Untitle #1」のミュージック・ビデオをまた思い出すことになろうとうは、思いもしなかった。2003年にリリースされたこのMVを前回思い出したのは、2011年の原発事故のとき。メルトダウンとかメルトスルーとか帰還困難区域とかの文字がこの国で使われ始め、子ども達の健康を案じているころ、このビデオを思い出した。
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【残像日録】続・旅の土産〜 お菓子のパッケージはお国柄を表す

旅先でお土産を買うときも、中身よりパッケージ優先な人間であることに改めて気がつきました。 早く海の向こうをまた、旅したいものです。。
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【残像日録】旅の土産

100年に一度のパンデミック。 その真っ只中にいて、日々ぼんやりした頭で思う由無し事。。
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【残像日録】ハレの日のある暮らし

日々の繰り返しのように続くひとの暮らしの中で、ハレの日は絶対に必要だ。民俗学でいうところの「ハレとケ」。「ハレ(晴れ)」というのは儀礼や祭、年中行事などの「非日常」、対する「ケ」は、普段の生活である「日常」を表す。民俗学者の柳田國男が見出した、日本人の伝統的な世界観である。ハレの日がないと、ケ(日常生活を営むためのエネルギー)はカラカラに枯れて、「ケガレ」となる。コロナ蔓延により各地の祭りもイベントも中止され、自粛がかれこれ一年半続いている今の日本の状況は、どこもかしこもケガレの状態だ。難儀な時世になった。
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【残像日録】ロックインジャパン中止と渋谷陽一が教えてくれたこと

涙が出た。主催者の苦悩と無念と、その経緯がダイレクトに伝わってくる。これこそが、誠実さではないのか。参加者に対する誠意。誠意の塊だ。そういう経緯があって、苦渋に満ちたその決断を下したのか、よしわかった、これからも応援させてくれ、となるではないか。自分はチケットがやっと取れたのに、泣く泣く払い戻し、となった人達の側ではないので他人事みたいな感想を言っているのは承知の上だけど、少なくともこの決断に至った彼らの、ベストな解を探すための努力、真摯な姿勢、そしてそれをわかってもらおうとする精一杯の責任感が伝わってくる。この有事とも言える状況のなか、国民の過多数が反対している五輪行事を推し進め、一方で各自の行動制限を求める。そんな今の国のトップにそれができているだろうか?昨年のコロナが始まった頃から各先進国の首脳が国民に語りかける姿を見ているけれど、この国のそれほど、共感できないものはない。残念だなと思う。渋谷陽一氏の文章を見て、改めてそんなことを思った日。
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