日々の残像を、ゆるゆるメモします。
青羽悠氏の「凪に溺れる」を読んだ。
読み始めてすぐに「面白いけど今の自分には必要のない小説だな」と思った。
そして、自分のこの感想は何を意味するのか?と考えた。
以下は個人的感想です。
自分はたぶん、タイトルに惹かれて読もうと思ったのだと思う。
海の穏やかな状態である「凪」。
そこで溺れるというのはどういうことだろう。
タイトルの叙情性に惹かれた。
しかし、読み始めてすぐに違和感を感じた。いわゆる「青春小説」で自分がもう青春の年齢ではない、からではない。
すでに亡くなっている無名のアーティストの曲がYouTube上で「バズって」、その曲にまつわる物語が展開していく、という設定はとても魅力的。
そういうことってきっとあるだろう。
けれども、そのナイスなシナリオが先行して言葉が空回りしているような。。
耳障りの良い単語を口先で語られているようなイメージを抱いてしまった。
著者は20歳の京大生、ということは後から知った。
高校2年生のときに「小説すばる新人賞」を史上最年少で受賞したのだという。
「凪に溺れる」では、かき乱されるような日常ではないが、その中で惰性で生きることもできず、もがきながら生きている状態を描きたかった、ということ。なるほど。
かつて自分も小説を書いていたことがある。
こんなタイトルを思いついたら、その時点でもう「勝った」と思うだろう(笑)
そしてなかみを書くにあたって目指したかったことは「普遍性」。
たとえ登場人物が小さな子どもや動物であっても、読んだひとが
「これは自分のことについて語られている。自分のものがたりだ」
と感じるようなものを書きたいと思っていた。
夢のまた夢だった。
独断と偏見だけどその究極のかたちは名作であるこちらだと思う。
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