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マンダラデザインアートブログのsachiです。
前回の「アール・ヌーボーの建築 ブリュッセル編」に続き、今回はパリ編です。
エクトール・ギマールとヴィクトール・オルタ
1895年、フランス人の建築家エクトール・ギマール(1867–1942)はベルギーを訪れた。そして、ヴィクトール・オルタに出会う。
オルタはギマールに助言したという。
「花や葉を離れ、茎を掴め」
やがて、アール・ヌーボーの波はパリに伝わっていった…
こちらは、1900年頃のエクトール・ギマールの作品。
オルタのいいつけ通り、茎が大フィーチャーされてる!
…という意味ではないとは思いますが。
(アール・ヌーボーの印象は、茎というよりもくるくるとした蔓のイメージの方が強いなー)
オルタに出会う前のギマールは、中世建築(有機的ではなく、どちらかというと幾何学的)を専門とする建築家だったとのこと。
その彼が、ベルギーを訪れてオルタに出会い、タッセル邸を見るや否や、アール・ヌーボー様式に心を奪われた。
そして帰国後には、手がけていた最中の建築物に大幅な設計変更を加えてしまった!
青年エクトール・ギマール28歳。きっと、ものすごい衝撃だったんだ。。
この建物は、パリで最初のアール・ヌーボー建築となった(カステル・ベランジェ)。
けれども、タツノオトシゴとか仮面とかがくっついた、はじめて見るおかしな装飾建築に、パリの人たちは一様に冷たい批判を浴びせたそうな。。
フランスのアール・ヌーボーは、1900年のパリ万国博覧会のころ最盛期を迎える。エクトール・ギマールは、その代表的建築家になっていた。
それで、万博に向けて開通が進められていたメトロ入口のデザインをメトロ側から依頼され、一手に引き受けたんだ。
ギマールによるメトロ入口のデザイン
ポルト・ドフィーヌ駅入り口。
屋根の部分はトンボかセミの羽根みたい。たっぷりとした陽光できらきらしていました。
1900年メトロ開通時、同じ形のデザインが5駅に採用されたが、現存するのはここだけ。
壁面の蔓装飾が今にも動き出しそうです。ヘビっぽくもある。
しかしあたりは閑散としたもの。誰もありがたがってるようすはない…
こちらはアベス駅。屋根の先が少し丸みを帯びているタイプ。モンマルトル地区です。
地上に出るといきなりのメリーゴーラウンド。家族連れがいっぱい見られた。
入り口付近の案内板。
こちらは滞在していたホテルから歩いて3分。ブランシェ駅。
日が暮れるとあかりが灯ります。このタイプが一番好き。ミュシャっぽいと思う。
向かいにはムーラン・ルージュが。このあたりはブランシェ広場。
ギマール自邸
パリ16区には、エクトール・ギマール設計の住宅建築が10軒以上ある。
彼のピーク時の作品である「ギマール自邸」を見に出かけた。
こちらがギマール自邸。
窓の飾りが素敵。色々なタイプがあって楽しい。
モザール通り122番地。その下のHGは彼のロゴ?
壁面にはサインが彫ってあった。
パリ16区はどの建物も趣があった。
フランスパンかじって歩いている人を何人か見かけた。
この駅のメトロサインは比較的現代的な感じ。
洗練されています。
パリのメトロはスタイリッシュ!
とにかくメトロの駅が可愛い。椅子が。大きめの広告が。
駅によってテーマカラーがあるようで、滞在したホテルの最寄り駅ブランシェはきれいなオレンジ色だった。
<駅構内>
<広告ポスター>
<車内>
座面のファブリックもハイセンス。これ以外にも何パターンかありました。
けれど床にゴミが…ゴミが多い…
(ちなみにメトロ内でスマホいじっている人が多いのはどこも一緒)
パリの街角はやっぱりおしゃれ!
ショップやレストランの店先ひとつひとつが個性的なのはさすが。
壁の色とか看板のイメージとか。
こちらはシャンゼリゼ通りの出店。可愛いテント?がずらりと並び、パリジェンヌ達で賑わっていた。
(余談ですが、かの名高いシャンゼリゼ通りだけど、んー。銀座の方がきれいじゃない?…と思ってしまった。銀座の街は、清潔でかつハイセンス。ゴミ一つ落ちていない。この街の道ばたのゴミの多さにはちょっとびっくり…)
壁の落書き?だってアーティスティック。
アメリが働いていた店「カフェ・ドゥ・ムーラン」でひと休みしたよ。
モンマルトルの丘にあるサクレクール寺院の前からは、パリが一望!
こちらも「アメリ」に出ていたメリーゴーラウンド。
(豊島園のに似てるなー、と思ったが、あとで調べたら豊島園のメリーゴーラウンドって現存する日本(おそらく世界)最古のものであることが判明!1907年ドイツ製。アール・ヌーヴォー様式)
(こちらが練馬区のアール・ヌーボー!)
辺りが暗くなると、街灯シルエットの優美さにも気がつく。
石畳も小雨に濡れて光っていました。
バルセロナ編に続きます!
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