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マンダラデザインアートブログのsachiです。
田坂広志氏の著書、「死は存在しない〜 最先端量子科学が示す新たな仮説」 を読了。
以下、自分メモを兼ねた感想です。
死は存在しない ― 最先端量子科学が示す新たな仮説 (光文社新書)
Contents
死んだらひとはどうなるの?
示唆に富んだ良書だった。
読んでいて何度も心ここ(この世)にあらずといった感覚になった。意識が飛んだ。
不思議なことに自分は、美しい叙事詩や神話を読んだような気分でこの本を閉じた。
著者が古今東西の哲学者、文学者、科学者の言葉を引用したり、映画のワンシーンを例えに出して、この宇宙の全体像を説明しようとしていたからかもしれない。
書いてあることのメインは、誰もが気になる
「死んだらどうなるの?」
ということ。
この永遠の課題に、原子力工学博士の著者が科学的な視点からやさしく丁寧に、市井のわたし達にでも理解できるよう、ひとつひとつ説いてくれる一冊。
「死は存在しない」
これがタイトルだけど、肉体としての死はもちろん存在し、それを経て我々がどうなるのか?ということが著されている。
結論から言うと、ひととしての自己を終えた我々の意識は、もともと自分がいたところである「宇宙意識」の域(=ゼロ・ポイント・フィールド)に帰っていく。
我々の意識は、「現実世界」の「現実自己」が死を迎えた後、このゼロ・ポイント・フィールド内の「深層自己」に中心を移すのである。
(209p)
著者によれば、意識の本来の「故郷」に戻る(=「大いなる帰還」)のだから、「死は存在しない」ということになる。
ゼロ・ポイント・フィールド仮説ってなに?
この「ゼロ・ポイント・フィールド仮説」とは、この宇宙に普遍的に存在する「量子真空」の中に「ゼロ・ポイント・フィールド」と呼ばれる場があり、この場に、この宇宙のすべての出来事のすべての情報が、「波動情報」として「ホログラム原理」で「記録」されているという仮説なのである。
(121p)
すべての情報が記録されているって……。
そんなこと可能なの?
著者によると、宇宙に存在する「量子真空」*の中に、この宇宙のすべての情報を記録する「ゼロ・ポイント・フィールド」というところがあり、我々は死ぬとそこに行く(戻る)という。
* 「量子真空」とは
場の量子理論では、量子真空状態 (量子真空または真空状態とも呼ばれる) は、可能な限りエネルギーが最も低い量子状態です。 通常、物理的な粒子は含まれません。
出典:量子真空状態 Quantum Vacuum State
この「ゼロ・ポイント・フィールド」の領域を説明するにあたり、著者は現代の最先端科学である量子科学で究められている大前提(↓)について、まず説明する。すなわち
= 量子物理学的に見るならば「物質」というものは本来存在しない
量子力学の基礎を築いたハイゼンベルクの「不確定性原理」(1932年ノーベル物理学賞受賞)によれば、ミクロの世界では対象物の「質量」や「位置」を正しく測れない。
ミクロレベルのもの、たとえば「電子」の位置を計測するには、光(電子顕微鏡の電子線)を当てる必要があり、その当てた光の影響で正確な測定はできない。誤差が大きくなってしまうのだ。
よって、ミクロの対象物の正確な測定というのは不可能であるという。
(ただし近年はこれを覆す実験理論の発表もある →https://www.kek.jp/old/ja/newsroom/2012/02/23/1800/)
以下、著者の量子科学の基礎の説明箇所。
実際、我々の目の前にある世界を日常感覚で見るならば、「物質」とは、観ることも、触ることもできるものであり、目の前に明確に「存在」し、「質量」や「重量」を持ち、どこに存在しているかという意味での「位置」も明確に分かるものであるが、一方、この世界を、極徴のレベル、原子よりも遥かに小さな「素粒子」のレベルで観察するならば、そうした日常感覚で捉える「物質」という存在が「消えて」いく。
(58p)
その象徴的な例が、素粒子の一つである「光子」が示す「粒子と波動の二重性」である。
これは、量子科学の教科書レベルでも、良く紹介される性質であるが、光の実体、すなわち「光子」は、観察の方法によって、「粒子」の性質を示すときもあれば、「波動」の性質を示すときもある。すなわち、光子というものを「極徴の物質」であり「極徴の粒子」だと考えても、実際には、「波動」としての性質を示し、「物質」として、その「位置」を測定することさえできないのである。
(同上)
細かく見ていくと素粒子であるぼく達も、物質じゃなくて「波動」からできてるってこと?
そう。きみも宇宙に波動として記録されてるよ!
宇宙のすべての情報は、「波動エネルギー」で「ゼロ・ポイント・フィールド」に記録される。
そして、この「ゼロ・ポイント・フィールド」では情報の優劣や評価がない。
すべてが均一でフラットな情報であるという。
この宇宙の「すべての出来事」とは、それが銀河系宇宙の生成であろうが、地球という惑星の誕生であろうが、ローマ帝国の興亡であろうが、あなたがこの地上に生を享けたことであろうが、あなたの今朝の食事であろうが、その食事が美味いと思ったことであろうが、その本質は、量子物理学的に見るならば、すべて「波動エネルギー」なのである。
(125p)
このあたりを読むと、なんだか救われたような気持ちになるのは自分だけ?
宇宙のすべてが同価値!!
永遠に残るゼロ・ポイント・フィールドの記録
例えば、アマチュア無線では、電波さえ届けば地球の裏側から送られてくるメッセージを受信することもできる。だが、無線に使われるのは「電磁波」なので、時間とともに減衰し、消えてしまう。
仮にこのエネルギーが減衰しないとしたら?
無線やテレビ、ラジオの電磁波エネルギーは永遠に「波動情報」として地球周辺や宇宙を飛び交い続け、もしもそれらに周波数を合わせることさえできれば、我々は、過去から現在までに発信されたすべての「波動情報」をキャッチできるという。
そして!
量子真空の「ゼロ・ポイント・フィールド」が記録する情報は、「量子的波動」であるため、減衰が起こらない。
(137p)
それゆえ、このフィールドに記録される情報は、この宇宙の過去から現在までのすべての出来事のすべての情報であり、その情報は「ゼロ・ポイント・フィールド」が存在するかぎり、永遠に存在し続けるのである。
そのため、もし、我々が、何らかの方法で、「ゼロ・ポイント・フィールド」に繋がることができるならば、我々も、この宇宙の過去から現在までのすべての出来事のすべての情報に触れることができるのである。
(同上)
予感や予知やシンクロニシティは、「ゼロ・ポイント・フィールド」に偶然アクセスしたことで起こる、と著者は書いている。
なるほど。超能力というのはそういうカラクリだったか。。
そして宇宙も現在進行形。創造を続けている
138億年前、量子真空で量子の揺らぎが起こったことで、それは急激に膨張し始め(=インフレーション理論)、大爆発を起こして今の宇宙になった(=ビッグバン理論)。
著者によると、宇宙には誰か創造主がいるわけではなく、宇宙自身も宇宙を創造し続けているのだという。別にどこに向かって進もうとか、良い方に発展していこうというわけではなく「目的のない旅」を続けているというのだ。
このことを科学的な言葉で説明するならば、「この宇宙は、自己組織化を遂げ続けている」ということである。
この「自己組織化」(Self Organization)とは、二〇世紀後半の科学界において、極めて重要なキーワードになった概念であり、ベルギーの化学者、イリヤ・プリゴジンは、この「自己組織化」に関する研究で、ノーベル化学賞を受賞している。この「自己組織化」とは、分かりやすく言えば、「外から誰かが意図的に働きかけなくとも、あるシステムが、自然に『秩序』や「構造』を生み出す性質」のことである。
そして、実は、自然界のすべての現象や出来事は、すべて、この「自己組織化」のプロセスによって起こっているのである。
(284p)
以前、複雑系の科学について読んだときに「セルオートマトン」という概念があったが、それを思い出した。
プリゴジンによると、「システムの片隅の小さなゆらぎが、そのシステムの進化の未来を決めてしまう」ため、「側然に起こる小さな変化によって、未来は大きく変わってしまう」という。
それってぼくの祈りが宇宙を変えることも可能ってこと……?
ないす 👍
宗教世界で語られるビジョンとの不思議な一致
「宗教」の世界では、不思議なことに、この「ゼロ・ポイント・フィールド」と極めて似たビジョンが、遥か昔から語られている。
例えば、仏教の「唯識思想」においては、我々の意識の奥には、「末那識(まなしき)」と呼ばれる意識の次元があり、さらにその奥には、「阿頼耶識(あらやしき)」と呼ばれる意識の次元があるとされており、この「阿頼耶識」には、この世界の過去の出来事のすべての結果であり、未来のすべての原因となる「種子」が眠っているとされている。
また、「古代インド哲学」では、「アーカーシャ」の思想が盛られており、この「アーカーシャ」とは、宇宙誕生以来のすべての存在について、あらゆる情報が「記録」されている場であるとされている。
(129p)
その昔、天外司郎著『般若心経の科学 〜「
1997年発刊の書物だが、般若心経は宇宙の根本的な仕組みを説いている、という考え方が展開されていた。
「色即是空」を明確に説明する「ホログラフィー宇宙モデル」 という内容があって、わくわくしながら読んだことを思い出す。
著者の天外司郎氏こと土井利忠さんは、元ソニーの技術者でAIBOやCDの開発に関わった方。
サイエンティストには、仏教と科学の間にある溝を埋める役割がある、とも述べていた。
死ぬとこうなるのでは?〜 自分が考えていたこととの照合
死んでこの体がなくなったら、どんなふうになるのだろう?
誰でも一度は考える。
死んだらすべてが消えて、はいおしまい、と思う人が多いだろうか。
自分は、死ぬと怒りや悲しみなどの「感情」が消えて、フラットな意識(は残ると思う)の状態になるのでは?と、ぼんやりと思ってきた。
ひとの感情の動きは、ホルモンなど伝達物質を含む肉体に属していると思うから、死んだらそれは終了。
一方、魂(というのも曖昧だが……)に司られている(のでは?と思う)意識の方は、感情に邪魔されないので今よりも明晰になる、と。
これは年をとり、気力も衰え、感情の動きもやや凪いできた年代になって思うようになった。
自分の中の鬱陶しい感情の数々。これ、すべて身体の成せるワザだ。肉体がこれらを感じさせているんだ、とある時気がついた。
若い頃はそれ(感情)こそが人間そのもの、と思ってた。
それは事実ではあるけれど、そればかりじゃないだろう、と今は思う。
さて、この本では、ゼロ・ポイント・フィールドに移ると、我々の意識はどうなるのか?ということまで語られている。
著者によると、ゼロ・ポイント・フィールドでは、我々の「自我」(エゴ)は消えていくという。
では、なぜ、我々の意識がゼロ・ポイント・フィールドに移ると、「自我」(エゴ)が消えていくのか。
「恐怖」や「不安」が無くなるからである。
元々、我々の心の中の「自我」(エゴ)は、この現実世界での我々の生物としての「生存本能」に根源を持っている。「死」に対する恐怖、「生存」が脅かされることへの不安、そうした恐怖や不安から、「自我」が生まれ、この「生存本能」に根差した「自我」が、さらに意識の中で広がっていき、「闘争心」や「競争心」、「自他の分離」や「自他の比較」、「承認欲求」や「自尊心」などの意識を生み出すのである。そして、それが、「敗北」や「挫折」、「孤独」や「劣等感」、「渇望感」や「自己否定」などを通じて、我々の心に「苦しみ」を生み出しているのである。
(228p)
それゆえ、我々の心の中から「自我」が無くなれば、「心の苦しみ」も無くなるのであるが、この「生存本能」に根差した「自我」は、現実世界では、決して無くならない。
しかし、ひとたび肉体の死を迎えた後は、我々の意識の中の「自我」は、もはや「死の恐怖」や「生存の不安」から解放され、その存在意義を失い、自然に消えていく。
(228-229p)
エゴの源は「生存本能」か。。
めちゃくちゃ腑に落ちる。
現実世界で我々を苦しめ続けた「自我」が、死後ゼロ・ポイント・フィールドに移ると、自然に消えていく。その結果、「心の苦しみ」も消えていく、というのである。
では、「自我」(エゴ)が消えていくとは、何を意味するのか。
それは、「私」が消えていくことを意味している。
(229p)
この章は自分にとって、厳かな福音のように耳に響いた。
死ぬのが怖くなくなった気がする
人生とは。最近感じている、あるビジュアルイメージがある。
それは、車に乗るタイプのお化け屋敷だ。車は肉体で、人はそれに乗って様々なイベントの中を通り過ぎていく。次から次へと出てくる化け物(イベント)を前に、どういうリアクションを取っても良い。大袈裟なくらい喜怒哀楽を発露するも、見て見ぬふりをするも自由。自分の好きに決めて良い。何かが起こってそれに反応して、の繰り返し。その時々の反応やこちらの能動的な働きかけによって、その後出てくる化け物が変わってきたりもするシステム。
かようにすべては自由なんだけど死ぬまでその乗り物から降りることはできない。どうせいつかは終わるのだから楽しむが吉、というアトラクションなのだ。
唯一の注意点は、個々のイベントに決してのめり込まないこと。人の不幸もその人のイベントだから過剰に同情する必要もない。過ぎてしまえばすべてがイリュージョンだった、とわかる仕掛けになっている。
さて、最後の章は、著者の人類に対する愛に溢れていた。
あなたの人生には、大切な、大切な意味がある。
この「宇宙意識」の成長にとって、大切な意味がある。
なぜなら、あなたは、この「宇宙意識」そのものなのだから。
(325p)
生きていると、辛いことは多々ある。
だが、自分が生きているだけで(生きていることが)、宇宙意識の学びにもなる。
この世に生まれ、生きていることだけですでに100点満点、というメッセージだと受け取りました。
多くの人に読んでもらいたい一冊。
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