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マンダラデザインアートブログのsachiです。
今日は石田徹也氏の作品を観て考察したことを書こうと思います。
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石田徹也の「僕達の自画像展」を観に練馬区立美術館に行った
昨年末、彼の主要作品70点が展示される個展を見に、練馬区立美術館へ行きました。
彼の作品群を前にすると、知らず知らずのうちに自分の内部と向き合うことになってしまう。
石田徹也の作品を見るということは、そういうことなのだろうと思いました。
1996 飛べなくなった人
描かれているのはきっと作家自身であり、私達の姿でもある
1998 めばえ
彼の作品を見て、心動かされない人がいるだろうか。
自分に関して言えば、じっと見ていると心の奥底がざわざわとして、いてもたってもいられなくなる。
ほとんどの作品には作家自身と思われるうつろな目をした短髪の男性が登場する。
彼は、現代を生きるわたしたちの分身とも言える。
その作品の中にわたしたちは、自分との共通項を容易に見出すことができる。
絵の中の人物は深刻なトーンをかもしだしてはいるが、同時にくすりとしてしまうようなユーモアも感じさせ、親しみ易さを覚える。
後期に描かれた作品の暗部の表現は見ていて辛いほど
スペースを移して2000年以降の作品群の前に立つ。
画風は変わったわけではないのに、受ける印象が全く違う。
2000年 無題
まず第一に、格段に絵がうまくなっている。
洗練されてきたという印象。
短期間に大きな作品をいくつも書いているのにも驚いた。
そして、何よりも顕著なこと。
それは作品から諧謔味がすっかり消えてしまったことだった。
作品がひたすらに自らの暗部に向かうものになっている。
冷徹に自分を突き放し、観察し、容赦なく描き切る。
自己をつぶさに見つめ、あますことなく掘り起こすどす黒いエネルギーが作品から立ち上ってくるようだった。
自虐的で破滅的。
後期の作品になるともう、見ていて自分を重ね合わせたりすることなどできなかった。
鑑賞者は置きざりのままに、ただただ痛々しい青年の苦悩がキャンバスの上にさらされている。
もう半分はあちら側に行ってしまっているのではないかと思われるくらい潔く、生の苦しみのすべてを己を素材にさらけだしている。
そこには、たとえ誰かが手を差し伸べようともそれが何の意味も成さないような、手の施しようのないほど深い孤独があった。
2001年 無題
2004年 無題
石田徹也の描く生きることのおぞましさと魅惑のながめ
自分は、見終わる頃にはぐったりと消耗していた。
にもかかわらず、ずっとその場にいたかった。
床にへたりこんで寝転び、いつまでも彼の絵に囲まれていたかった。
彼の提示した、言いようのない孤独と死の淵のながめは心底恐ろしかったが、同時に、とても魅惑的なものだったのだと思う。
石田徹也氏は2005年に踏み切り事故で亡くなった。
享年31歳だった。
2003 文字(これは自分がもっとも衝撃を受けた作品。ここではもう言語化できない領域が描かれてしまっていると感じる)
同時に購入した「石田徹也ノート」は大変に充実した内容で、彼の創作の秘密を垣間見ることのできる素晴らしい一冊であった。
彼の夢ノートほか創作メモが見られ、作品がどのようにして生まれ得たかを理解するための一助になる。
おすすめです。
そして、石田徹也公式ホームページでは、彼のほとんどの作品を見ることができる。この投稿にある画像の出典はすべてこちらである。(転載の許可はご遺族からいただきました)
また、現在浜松美術館では「石田徹也展と静岡県ゆかりの画家」を開催中。~5月17日(日)
お近くの方は是非!
1995 ビアガーデン発
会期 2008年11月9日(日曜)~12月28日(日曜)
会場 練馬区立美術館
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