家事を終えて、ひと休み。
トイレに入って腰を下ろし、何となく目を閉じる。
すると、暗いまぶたの裏側にくっきりとした光の残像らしきものが映った。
たて1センチ横5ミリほどの長方形が4つ、無秩序に並んでいる。
何だこれ。。
目に焼きついてしまってるよ。
しばらく見つめているとじょじょに薄くなっていき、消えてしまった。
目を開けて、はたと考える。
自分は何か、光る長方形のものを見ていたかな。
見た覚えがない。
ベランダの西側から、少し離れたところに止まっていた、はた迷惑な車は見たけれど。
昼だというのにヘッドライトをこうこうとつけ、それがちょうどこちらの方を向きやがり、目がおかしくなるかと思うほどまぶしかった。
早くそこから退去せよ、と思うのだが、ライトをつけっぱなしにして長いこと動かない。
変な車、と思いつつ何枚かの洗濯物を干し、そのあとトイレに行ったのだった。それ以外のものは何も見ていない。
あっと思って、ベランダに出た。
車がとまっていた辺りを見ると、塀があり、よく見るとどうやらそこに4枚の看板がはられているらしい。
その配置が遠目から見ても、さきほどの、目の裏の4つの長方形の残像と全く同じ並び方だった。
ヘッドライトの正体は、看板だった。
西日が照り返し、考えられぬほどの強い光を発しているように見えたのは、これら看板だったのだ。
まぶしさに眩んだ自分の目には、二つの強烈な丸い光にしか見えなかった。
自分でも認識していなかった光の源を、からだサイドがきちんと記憶していた。かたちやその位置関係までを正確に。
そして、頼んでもいないのにほんとうの姿を知らせてくれた。
目の裏の残像という形で。
取るに足らぬことかもしれないけれど、このことは、自分に色々なことを気づかせた。
何事も頭だけでわかったつもりでいると、判断をあやまることがあるのだろう、と思った。
からだは勝手に都合よく解釈したり、偏った見方をしたりしなかった。
示唆的だわー。
「天文学と印刷」展@印刷博物館の図録が素晴らしかった!
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