デイルチフーリ作品を観に。富山市ガラス美術館が素晴らしい!
LIFE
【残像日録】続・旅の土産〜 お菓子のパッケージはお国柄を表す
旅先でお土産を買うときも、中身よりパッケージ優先な人間であることに改めて気がつきました。 早く海の向こうをまた、旅したいものです。。
【残像日録】旅の土産
100年に一度のパンデミック。 その真っ只中にいて、日々ぼんやりした頭で思う由無し事。。
【残像日録】ハレの日のある暮らし
日々の繰り返しのように続くひとの暮らしの中で、ハレの日は絶対に必要だ。民俗学でいうところの「ハレとケ」。「ハレ(晴れ)」というのは儀礼や祭、年中行事などの「非日常」、対する「ケ」は、普段の生活である「日常」を表す。民俗学者の柳田國男が見出した、日本人の伝統的な世界観である。ハレの日がないと、ケ(日常生活を営むためのエネルギー)はカラカラに枯れて、「ケガレ」となる。コロナ蔓延により各地の祭りもイベントも中止され、自粛がかれこれ一年半続いている今の日本の状況は、どこもかしこもケガレの状態だ。難儀な時世になった。
【残像日録】ロックインジャパン中止と渋谷陽一が教えてくれたこと
涙が出た。主催者の苦悩と無念と、その経緯がダイレクトに伝わってくる。これこそが、誠実さではないのか。参加者に対する誠意。誠意の塊だ。そういう経緯があって、苦渋に満ちたその決断を下したのか、よしわかった、これからも応援させてくれ、となるではないか。自分はチケットがやっと取れたのに、泣く泣く払い戻し、となった人達の側ではないので他人事みたいな感想を言っているのは承知の上だけど、少なくともこの決断に至った彼らの、ベストな解を探すための努力、真摯な姿勢、そしてそれをわかってもらおうとする精一杯の責任感が伝わってくる。この有事とも言える状況のなか、国民の過多数が反対している五輪行事を推し進め、一方で各自の行動制限を求める。そんな今の国のトップにそれができているだろうか?昨年のコロナが始まった頃から各先進国の首脳が国民に語りかける姿を見ているけれど、この国のそれほど、共感できないものはない。残念だなと思う。渋谷陽一氏の文章を見て、改めてそんなことを思った日。
【残像日録】アムステルダムの不思議なひかり
10年くらい前に、はじめてヨーロッパに行った時のこと。 アムステルダムに着く直前、上空から不思議な光景を見た。 時間は夕方、あちらこちらで平らな屋根?のようなものが強く発光しているのだ。 え、なんてきれいなの...。 しかもそのながめはしばらく続いた。そういう建物がきわめてたくさんあるということだ。 はじめは強く照りつける夕日が反射しているのかな?と思ったけど、それにしては点在の仕方が少し不自然。 あんなにも強い光は、人工的なものではないか? もしかしたら、衛星写真でも確認できるような強い光を使って、チューリップの温室栽培をしているのか?オランダだけに、などと思いを巡らせて、その幻想的な光景を夢見心地で見下ろしていた。
【残像日録】割れたメスシリンダー
理科室が好きだった。等身大の骸骨の骨格模型や、液体につけた不思議な標本。 目盛りのついた透明のビーカーやフラスコ。試験管。薬瓶も魅力的だった。何かをすりつぶす、乳鉢なんていうのもあったっけ。そしてプレパラート!顕微鏡で観察する液体などをスライド(ガラス板)に置き、薄くて小さいカバーグラスを注意深くピンセットで置くときのドキドキ感。当時の自分のクラスは落ち着きのない男子が多く、理科室の授業のとき班の中にひとりでもそういう子がいると自分ははらはらした。何度注意しても、友達同士じゃれ合ったりしていて危なっかしいったらない。実際に、ふざけていて試験管を落としたり、手荒に扱ってビーカーを割ってしまうこともあった。
【残像日録】高橋さんとチャック
高橋さんは自分が通っていた小学校の用務員さん(今でいう主事さん)。 背は低く、ぎょろりとした目をしていて、頭にいつもねじり鉢巻きのようにタオルを巻いてもくもくと働いていた。 子ども達は彼のことを密かに「たこちゅう」と呼んでいた。口数が少なく、彼らには少し恐れられていたと思う。
【残像日録】生老病死と夜ランニング
このところ「生老病死」という言葉がよく頭に浮かぶ。生まれる、老いる、病む、死ぬ。人間として避けられない四つの苦しみ。仏教の教えの中に出てくる、「四苦」である。(苦は「苦しみ」という意味ではなく「自分の思うようにならないこと」の意味、という表記もあった)学生時代にこの言葉を聞いたときには全然ピンと来なかった。そりゃそうだ、生きることの苦しみしかまだ知らないのだもの。 老いる苦しみ、って人間歳をとるのだからそれは当たり前じゃない、それ苦しみにカウントするの?と思っていたと思う。でも、身にしみてわかるんだよなー今はこれが 笑
【残像日録】池田澄子の見る世界
この季節になると思い出す句がある。「じゃんけんで負けて蛍に生まれたの」(池田澄子)俳句のたしなみのない自分にも、池田澄子の代表句はこころに響く。 ストレートな物言いや、くすっとしちゃうような諧謔味。「目覚めるといつも私が居て遺憾」(池田澄子)「さしあたり箱へ戻しぬ新巻鮭」(池田澄子)こちらもまた、この時期に思い出す一句。少しの苦さを持って。「前ヘススメ前ヘススミテ還ラザル」(池田澄子)おりしも世間はオリンピック一色。自分も日本人というものの特性について、今日も考えたり考えなかったり。
アナザーエナジー展: 挑戦しつづける力―世界の女性アーティスト16人@森美術館
「アナザーエナジー展:挑戦しつづける力―世界の女性アーティスト16人」を観に森美術館に行きました。世界的なコロナ禍のなか、この地球上のあちらこちらに、時には情熱的に、時には怒りをこめて、また時には自分の好きなものを淡々と表現し続けている人々がいる。ーそのことを目の当たりにした、たいへん勇気づけられる展示でした!最高齢106歳、一番若者でも72歳。アーティストとしてのキャリアは全員50年以上だという。それだけでも励まされるのに、彼女らの産み出す作品スケールの大きさ!ほとばしるエネルギーの凄まじさ!自分は圧倒され、いたく感動させられました。
【残像日録】 ホリヒロシ
日々の残像ゆるゆるメモ。Eテレ「日曜美術館」を見る。ホリヒロシ。 自分の言葉で自分の宇宙を語れる人。素晴らしい人形作品を作ったあげく、自ら彼女を操り舞わせる。儚くも稀有な物語世界を作る人。3年前に亡くなった奥さんの幻影とともに暮らしているようなアトリエで制作する彼は、まるで美の求道者のようだった。
インド哲学を想起させる 小川洋子著「ブラフマンの埋葬」
物語のなかで「僕」が飼っている生き物の名前は「ブラフマン」。自分が連想したのは、ブラフマンとアートマンでした。ブラフマン(梵)は、インド哲学における宇宙を支配する原理で、アートマン(我)は個人を支配する原理。これらが同一であることを知ることが、 古代インドにおけるヴェーダの究極の悟り=梵我一如(ぼんがいちにょ)です。そして、「僕」が管理人を務める「創作者の家」に住む創作者たち。作家、詩人、哲学者、画家、音楽家、舞踏家...と色々で、彼らが「アートマン」という位置付けなのではないか?と感じました。一様に我が強いように見える彼らに比して、「僕」や彼の飼う「ブラフマン」はその対極にいるように見えました。