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マンダラデザインアートブログのsachiです。
「三島由紀夫 生誕100年祭」@ 日本近代文学館に行きました。
三島由紀夫は学生時代に自分が一番好きだった小説家です。
20代の頃、集中して著作のほとんどを読みました。
もう生誕100年になるのですね。
画像出典:https://mishima100.jp/
(にしても展示ポスター、この写真でないとだめだったのかな。胸毛がどうにも受け付けません。
三島由紀夫の生涯丸ごとを展示する今回の趣旨からして仕方ないのかな……?)
日本近代文学館
京王井の頭線の駒場東大前に位置する日本近代文学館。
初めて訪れましたが、歴史の感じられる建物でした。
川端康成らの呼びかけにより設立準備会が発足、1967年竣工されたのだそう。
観覧者の大半が年配で若い人はちらほら、といった感じでした。
展示は以下のように3つのパートに分かれていました(「三島由紀夫 生誕100年祭」公式ページから引用)。
↓
展示内容は「3つの愛」
ΜΙΣΙΜΑΝΙΑ 三島愛
マニアとは愛すること。「文」を愛し「武」を愛した三島は、「人」を愛する一人の人間でもありました。書簡、署名入り献本、名刺や絵葉書に書かれたメッセージの数々は、三島をめぐる人間関係の環を物語ります。
ミシマニアとは、そんな三島由紀夫を愛し、三島を想って新たな存在を生み出す私たち自身のこと。ミシマニアによって、三島の魂は時空を超えて輝き続けるのです。
出典:https://mishima100.jp/
三島の人間関係に焦点を当てた展示エリア。
編集者や学友、作品作りで関係した人達に送った手紙などが多数あった。
読んでみると、丁寧で心のこもった文言が多く並び、彼の謙虚でやさしい人柄が伝わってきた。
見応えがあったのは、編集者に向けて綴ったというある手紙の展示。
その中で三島は、構想中の作品(のちに「金閣寺」となる小説)についてタイトルを「人間病」あるいは「人間病院」と考えている、ということを書いていた。
画像出典:https://www3.nhk.or.jp/news/html/20241213/k10014666411000.html
以下のニュースによると、この書簡は最近発見されたということだが、観覧時、自分はまったく知らなかったので手紙を読んで驚いた。
この中で三島は新しい小説のテーマについて「題は『人間病』(人間存在といふ病気の治療法について)あるひは『人間病院』といふのです」などと記し、当初「金閣寺」とは異なる原題を考えていたことが分かります。
「金閣寺」は実際に起きた放火事件を題材に、きつ音によるコンプレックスを抱えつつも、金閣寺の美しさにとりつかれた学僧の複雑な心理を描いた作品ですが、手紙ではあらゆるコンプレックスを抱えた芸術家が主人公で、意志や芸術の力で人間であるという病気を治していくといった物語の設定にも触れられています。
出典:https://www3.nhk.or.jp/news/html/20241213/k10014666411000.html
ビブリオマニア 書物愛
ビブリオマニアとは書物を愛すること。三島由紀夫は生涯にわたって、自分自身の美しい本造りにも心血を注ぎました。装幀、挿画、本の重さ、手触りも、作品の芸術的完成度とともに、大切な本の命なのです。
理想の造本は一人では出来ません。三島は出版人や画家たちと篤い信頼関係を結び、時には進んで自ら写真の被写体ともなって、マルチ編集者として奔走しました。
出典:https://mishima100.jp/
三島が河出書房の担当編集者・坂本一亀に宛てた書簡もあった。
自身2作目の小説「仮面の告白」についての構想を、実に熱心に綴っていた。
三島由紀夫、24歳。坂本一亀(1921年生)28歳。
当時は珍しかった同性愛を描いた作品を、若いふたりが作り上げていく過程を想像するだけで胸が熱くなります。
『仮面の告白』(假面の告白、かめんのこくはく)は、三島由紀夫の2作目の長編小説。三島の初の書き下ろし小説である。大きな成功をおさめた代表作で自伝的作品でもある。人と違う性的傾向に悩み、生い立ちからの自分を客観的に生体解剖していく「私」の告白の物語。自身の性的志向への自覚と、男女の愛への試みと挫折が、苦痛と悲哀に満ちた理知的かつ詩的な文体で描かれている。
当時、同性愛というテーマを赤裸々に綴ったことは大きな話題を呼び、この作品により三島は一躍、24歳で著名作家となった。日本文学史上でも、その異質性においても画期的な作品だとされている。
出典:Wikipedia
三島展とは関係ないけど、坂本一亀氏は自分の敬愛する坂本龍一氏のお父上。
今月は坂本龍一の展示にも行ったし、こんなところでリンクしてくるとは、、と個人的にちょっと目頭が熱くなりました。
ヤポノマニア 日本愛
1970年11月12日から17日までの6日間、三島由紀夫は池袋の東武百貨店で自身の展覧会を開催しました。会場は、「書物」「舞台」「肉体」「行動」の四つの河に分かれ、すべてが、「豊饒の海」へ流れ入るように構成されました。
11月25日、三島は市ヶ谷の陸上自衛隊バルコニーで演説した後、総監室で自決します。それは三島由紀夫という存在全体の表現であり、ヤポノマニアの実践でもありました。
出典:https://mishima100.jp/
産経新聞さんの記事よりお借りした画像↓に見える、池袋東武百貨店での展覧会(昭和45年の自決直前に開催)のポスターなどが展示されていました。
画像出典:https://www.sankei.com/article/20250122-UPWDKKWOHZLA3GYZNA5RRKIPBQ/
三島が組織した「楯の会」の活動の様子などには大きなスペースが裂かれ、制服や帽子なども並んでいました。
市ヶ谷駐屯地での演説中に公開した「檄文」(自筆)が、大きなパネルになって展示されていたのが印象的でした。
それを見ながら思い出したのは、東京新聞「木曜文学」の記事(2024.12.26)↓
ノーベル文学賞候補として世界的に知られた作家、三島由紀夫が新宿区の陸上自衛隊市ケ谷駐屯地で決起を呼びかけた末、自決したのは1970年11月25日。三島が書き、その翌日の消印が付いた航空便が米ニューヨークのコロンビア大に保管されている。数々の三島作品を英訳し、世界に紹介した同大名誉教授ドナルド・キーンに宛てた遺書だ。そこには「文士としてではなく、武士として死にたいと思つてゐました」とあった。
(太字は当方による)
翌日の消印か……。
そのような大切なもの、投函はどなたに託したのだろう。。
この記事によると、三島は最後の作品「豊饒の海」を書き終えた際、親友のキーンに「新作に全てを注ぎ込んだ。今となっては自殺するほかやることがない」と打ち明けたといいます。
猪瀬直樹氏のサプライズ・ギャラリートークが素晴らしかった!
ところで会場内で展示を見ていたら、え?!自分の隣りで作家の猪瀬直樹さんが展示を見てらっしゃる!笑
びっくりしましたが、しばらくして会場での立ち話トークショーが始まりました。
20分間くらいだったかな?サプライズ・ギャラリートークだとのこと。
面白かった。
『ペルソナ〜三島由紀夫伝』(1995年)という猪瀬氏自身の本を片手に、三島由紀夫と石原慎太郎の関係についてなどを語ってくれたのだけど、初めて聞く話ばかり、大変興味深い内容だった。
猪瀬氏によると、三島は石原の登場にものすごい衝撃を受け、その存在を最後まで意識していたらしい。
『太陽の季節』で華々しく文壇デビューした石原は、颯爽とヨットに乗ってみたり、「戦後は終わった」などと若者らしく言っ放ってみたり。おまけに弟は石原裕次郎!小説家でありながらも舞台に立ったり映画に出るなどして三島が確立してきた、新しい文学者像をも軽く吹き飛ばしそうな「新世代」が出現したように感じたのか。
そして、石原が選挙で勝ったことにも衝撃を受けたらしい。
(実は、その前年に三島も立候補の打診を受けていたとのことだった)
時期を同じくして彼が一気に「楯の会」にのめり込み、市ヶ谷の事件に至ったのもそのことが少なからず関係しているのではないか?と猪瀬氏は語っていた。
(石原都政で副都知事を務めていたのは猪瀬氏。その辺りの内輪話も面白かった!)
猪瀬さん、貴重なお話をありがとうございました。
展示資料はすべて撮影禁止。
知らなかったこと、見たことなかったもの多数。
三島ファンは必見!
入場チケットは300円。バーコード付きで一回限り有効です。
会期:2024年11月30日(土)ー2025年2月8日(土)
会場:日本近代文学館 東京都目黒区駒場4-3-55
開館:午前9時30分~午後4時30分(入館は午後4時まで)
観覧料:一般300円、中学生・高校生100円(団体20名様以上は1人200円)
休館日: 日曜日・月曜日・12/27(金)~1/6(月)、1/14(火)、23(木)
主催:三島由紀夫生誕100年祭実行委員会
協賛:白百合女子大学
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