嫌いだ。

雑感 / 日記
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ちまたでは、猫も杓子も「元気をもらった」「勇気をもらった」のオンパレード。
この言葉、はっきり言っていけすかないです。
そういうこと言う人は大抵がいい人だからね、申し訳ないんだけどね。

 

勇気をもらう、というからには、勇気をあげている人がいるわけだが、その人は、自分が行動することによって別にそんなものを他人にあげたいとは思っていないかもしれない。思っているかもしれないが、思っていないかもしれない。

極端な話、見知らぬお前がおれの行いを見て勝手に勇気をもらって行くな、なんもあげてないよ、と言う人もいるかもしれない。
つまり、その人の行いが周りにどう影響することを本人が希望しているのか、他人には与り知れぬことなのだ。

 

あげてもいない人に「あなたから~をもらった」と、嬉々として告げることの裏側には、その人の行いを見て自分が勇気づけられたことを、あなたは喜ぶに違いない、喜ばないわけがない、という不遜な決めつけがある。
その「普通の(善良な)人間ならそうであるはず」という当人にも無自覚なおしつけがましさの気配がおそらく私を不快にさせるのである。

でもま、従来どおり、自分の感情を過不足なく表わす、「元気づけられる」「勇気づけられる」で充分だよね。

 

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