アール・ヌーボーの建築 #3 ~バルセロナ編
SCIENCE
杉本博司の集大成!感動のアート体験・小田原「江之浦測候所」に行ってきた
現代美術家 杉本博司氏が構想・設計した、小田原にあるアート施設「江之浦測候所」。2017年に完成してから、ずっと訪れたかったところでした。「測候所」と銘打っていますが、こちらは自然と芸術が融合した文化施設。小田原の静かな環境に包まれたアートの宝庫です。杉本博司の芸術的ビジョンと日本の自然美が融合した、唯一無二の場所なのです。パンフレットにある江之浦測候所の航空写真。長いギャラリーがひときわ目を引きます。4月に訪れたので、写真のように桜と菜の花がきれいでした。
「死は存在しない〜 最先端量子科学が示す新たな仮説」で田坂広志氏が提示した現代の救い
「死は存在しない」これがタイトルだけど、肉体としての死はもちろん存在し、それを経て我々がどうなるのか?ということが著されている。結論から言うと、ひととしての自己を終えた我々の意識は、もともと自分がいたところである「宇宙意識」の域(=ゼロ・ポイント・フィールド)に帰っていく。死んでこの体がなくなったら、どんなふうになるのだろう?誰でも一度は考える。死んだらすべてが消えて、はいおしまい、と思う人が多いだろうか。自分は、死ぬと怒りや悲しみなどの「感情」が消え、フラットな意識(は残ると思う)の状態になるのでは?と、ぼんやりと思ってきた。ひとの感情の動きは、ホルモンなど伝達物質を含む肉体に属していると思うから、死んだらそれは終了。一方、魂(というのも曖昧だが......)に司られている(のでは?と思う)意識の方は、感情に邪魔されないので今よりも明晰になる、と。これは年をとり、気力も衰え、感情の動きもやや凪いできた年代になって思うようになった。自分の中の鬱陶しい感情の数々。これ、すべて身体の成せるワザだ。肉体がこれらを感じさせているんだ、とある時気がついた。若い頃はそれ(感情)こそが人間そのもの、と思ってた。それは事実ではあるけれど、そればかりじゃないだろう、と今は思う。
神の宿る写真「川内倫子:M/E 球体の上 無限の連なり」展 @ 東京オペラシティ アートギャラリー
自分はなぜ、川内倫子の作品に惹かれるのか?改めて考えてみた。川内作品には、慌ただしい毎日のなかで後回しにしてしまいがちな大切なことを思い出させてくれる力がある。それは、ふと詩集を手に取り、束の間でも詩の世界にスリップした時の感覚にも似ている。そこはこの世ではないところだ。川内倫子の作品は、身の回りのものことを撮っているのにもかかわらず、「あの世」の佇まいがあると思う。神の視点を想起させるということなのかもしれない。
「野口里佳 不思議な力」展と「見るは触れる」展 @ 東京都写真美術館
「野口里佳 不思議な力」展と、「見るは触れる」展を観に、東京都写真美術館に行きました。 「野口里佳 不思議な力」展 野口里佳は1995年「写真3.3㎡(ひとつぼ)展」と19...
【残像日録】自然のめぐみと高木正勝
高木正勝は今、山の中に暮らしていて、その自然とともに生きる日々を「こといづ」という本に書いている。豊かな表現がいっぱいで、読んでいるだけで山の風を浴びたような感覚になる。素晴らしい。いずれここにも書こうと思います。高木正勝については過去にも何度か書いています。彼は実に、唯一無二の音楽家だと思う。
【残像日録】ネオヒューマン「ピーター2.0」の人生をかけた挑戦
イギリス人のピーター・スコット−モーガンさんはALSと診断され、余命2年と告げられた。ALSは全身の筋肉が徐々に動かなくなっていき、やがて死に至る難病だ。モーガンさんが選んだのは、呼吸・消化・会話など失われていく体の機能を次々と機械に置き換え、全身をサイボーグ化すること。そうして難病を克服するという道だった。余命宣告を受けて4年。自らを「ネオ・ヒューマン」「人類初のサイボーグ」と名乗る彼が、初めて日本のメディアに出演した。
西之島の噴火を見て太古の地球に思いを馳せる
今現役の火山学者、地質学者は幸運だ。模型や写真でなく本物の「大地創成」を、そのプロセスをワクワクしながら国内で観察することができるんだから! 50年前でも100年前でもなく、今の学者がいちばんラッキー!!素人の自分ですらこんなに興奮するんだから、専門家の学者さんがどんな思いでいるか、、想像に難くない。子どもの頃からそういうものに興味があっただろうひとが研究を続け、生業とし、この期に及んでそれそのものをリアルに観れるとは思いもしなかったのでは!?40億年前の地球の姿を、目の当たりにできるのだ。ゲームやCGじゃないんだ。もちろんガスも出ているかもしれないし、調査には危険も伴うけど。
未来と芸術展:AI、ロボット、都市、生命 @森美術館(その1)
イスラム建築で見られる「ムカルナス」という幾何学模様のパターンを参照して、コンピューターシミュレーションによりデザインを生み出したという。切断や組み立てもロボット任せ!AIによるアート作品とも言えるだろう。 めちゃくちゃクールだけどかなり気持ち悪い。フラクタル画像を見たときに感じる、神経を逆撫でする感覚を味わえる。でも最高に面白い!!
話しているのは誰? 現代美術に潜む文学 @国立新美術館
反体制的なメッセージを感じさせるものや、資本主義への疑問、淡々と社会を写し取る写真群など。どれも社会性を帯びた作品ばかりだった。いや、そんな大上段に構えた物言いはそぐわないのかもしれない。なぜならば、彼らが扱っているのは実際、身近なながめや出来事ばかりだから。
魅惑の細密画 ましもゆき 「耽溺」展 @六本木ヒルズ A/Dギャラリー
細密の美しさにノックアウト。 重くて強くて暗いけど、見ていると不思議と勇気づけられる。前に行こうというエネルギーを得られるような気がする。
「世界の終わりの始まり」松藤孝一ガラス展
ブラックライト(紫外線)を当てると緑の光を放つウランガラスの集合体で、「未来都市」を表現した松藤孝一展。 ウランという物質のエネルギーのイメージは、メルトダウンを経験したわたし達日本人にとっては一種独特。それだけにより一層妖しく、美しく目に映る。 本当にきれいで、いつまでもいたい空間だった。
名和晃平「Biomatrix」 @SCAI THE BATHHOUSE
こういった「装置」とも呼びたくなるような作品、いいな。 つまりある程度の仕組みを人の手で作って設置し、そこで自然科学の摂理を垣間見ることができるようなインスタレーションが大好き。 今見たものがもう先ほどとは違う振る舞いを見せている。そんな、摂理の中の不規則なながめそのものがアートになっているようなもの。