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マンダラデザインアートブログのsachiです。
恵比寿の東京都写真美術館に行ってきました。
「フェリーチェ・ベアトの東洋」と
「幻のモダニスト 写真家堀野正雄の世界」
二つの展示をはしごして、写真というものについてつらつらと考えた。
写真というツールで、目の前で起きている事柄を保存することのふしぎ。
電子書籍があふれる昨今だが、やはり紙の書物を手にするときの、人差し指と親指でページをつまむときの、その情感がそうであるように、きれいな動画を見られる現代であっても、現像した写真を見るというのは良いものなのである。
フェリーチェ・ベアトの東洋
長弓を持つ侍(1863)
ベアトの撮る写真はどれも凄みがあった。
彼はイタリア系イギリス人。
文久3(1863)年に訪日してから20年以上横浜に滞在した。
長弓を持つ侍。きりきりと漲る緊張感。この場にいたんだ、ベアト兄。すごいなあ。
日本語の「寫眞」という言葉は、明治期に作られたということだから、ベアトが来たのはそれより前。
入れ墨を施した男性(1870頃)
魚屋(こちらのサイトからの転載。この作品の展示はありません)
上の二枚は手彩色写真といって、職人さんが水彩絵の具で色を載せるのだそう。
ノスタルジックだなー
紙ぺら一枚なのに、この情報量。
上の写真なんかみんなこっち見てる。「わ。おじさんそれ重くね?」とか話しかけたくなっちゃう。
二次元なのに、三次元どころか四次元ポケットだ写真って。
くわえて、写真というのはやっぱり手にすっぽりとおさまるところが素敵なのだと思う。
小宇宙を手にした感。そんなフェティッシュな要素があることも魅力。
幻のモダニスト 写真家堀野正雄の世界
続いて、日本の近代写真の成立と展開に貢献した堀野正雄の展示会場へ。
「写真道」
彼の作品に触れたのは初めてだったが、そんな言葉が頭に浮かんだ。
ポーズ(崔承喜)(1931)
1920年代の築地小劇場を中心とする舞台写真などの初期の活動から始まって、彼が「実験」と名づけるグラフモンタージュなどの一連の作品展開期、その後の、報道写真や広告写真・女性のポートレイトなどの「実践」作品展開期。
年代順に追った彼の仕事に、写真家人生の究極を見た。ハードボイルド。
優秀船に関する研究(1930)
大東京の性格(1931)
女学生の行進(1936-39)
題不詳(水着を着てサザエを持つ女性)(1933-38)
*すべて東京写真美術館サイトより転載
いいね。写真は。
ところで、新進気鋭の写真家Chama♪の切り取ったこれらの写真にも、なんと言うか、その場にいた者にしか表わせなかった、瞬間のかけがいのなさを感じてしまった。
きっと未来へのpreciousなタイムカプセルになるんだよね。
+ 幻のモダニスト 写真家堀野正雄の世界
会 期: 2012年3月6日 ( 火 ) ~ 5月6日 ( 日 )
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