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マンダラデザインアートブログのsachiです。
内田百閒(うちだひゃっけん)の作品に『蜻蛉玉』という掌編がある。
百閒先生独特の味わい、というか人間臭さが感じられ、読んでいるだけでヒーリング効果がある(と思う)。
作者と思われる語り手が、ある時友人から蜻蛉玉を一つもらった。
台湾のもので、大きさは小指の先ほど。鮮やかな青磁色に白いすじが走った球である。
「私」は真ん中にあいた細い穴に白い絹糸を通して球を吊るし、床脇の額の釘に特に理由もないままぶら下げておいた。
偶然それを見た友人L君とのやりとりが面白い。
L君は悲鳴に似た叫び声を上げて、その場から飛び退いた。
L君が小さい丸いものをみると、非常に恐れるということを「私」はその時まで知らなかったのだった。
「私」もまた、財布の中のお札の向きが揃っていないと居心地が悪い、というような神経質な性質の持ち主という設定である。
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「丸いものはいけませんか」
と私は念のため聞いてみた。
「いけませんねえ、特に小さな奴がいかんです」とL君が、いやな顔をして云った。
「林檎やボール位になると、まだいいんですが、葡萄、それからラムネの球、それから女の根懸け、あんなものが一番いけないです」
「憚りに入れるナフタリンの球はどうです」
「いけませんねえ」
「蜜柑玉のお菓子はどうです」
「駄目です」
「土瓶の蓋の摘みはどうです」
「止して下さい」
とL君が怖い目をして云った。私は悪かったと思って、その話を止めた。しかし、腹の中では、まだいろいろと小さな丸いものを考え出して、それをいちいちL君に確かめてみたくて仕方がなかった。
〜『蜻蛉玉』内田百閒集成15 ちくま文庫 より
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どうです。
百閒先生、可愛いですね。
百閒文学の小宇宙、珠玉の作品『蜻蛉玉』のお話でした。
「ぢゃ節分の豆なんかどうです」
内田百閒(1889~1971)
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